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 株式会社 松田不動産   

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                                     資本金     2000万円

                                代表取締役  松田博彦

  よろしくおねがいします                    

                         matsuda@bronze.ocn.ne.jp

              

 

  
     (社長の毒言)

           20112月 28日 与謝野センセイは三枚舌

   宮島氏の辛い舌鋒は面白い。

   辛らつな表現で痛いところをついてくるのです。

   評論家なのだが、民主党びいきの評論家ばやりの昨近だが、

こうでなくては面白くない。

嘘ついている事を「鳩ってる」と言うそうだある。

また、おどおどしていることを「直ってる」というそうである。

この様に世の中を風刺する事は大変面白い。おおいに奨励しましょう。

「社長の毒言」にピタリの言葉ですよ。

以下宮島氏の記事を紹介します。

 

 

「与謝野センセイは権力の亡者と“三枚舌”」宮嶋茂樹

   何やねん、与謝野センセイ、菅首相いわく「社会保障改革に高い見識と

志を持っている」やて? それやったら小選挙区で落選したくせに

「自民党枠」で復活当選させてもろて、あげく除名されたのに何で

バッジはずせへんの? 高い志もっとるんやったらバッジはずしたって

大臣させてくれるで。そりゃあバッジはずしたら議員歳費など

もらえんからやないか。そういうゼニと大臣のポスト目当てのセンセイを、

権力の亡者というのである。“三枚舌”というのである。

エエ年してまだ権力に未練タラタラ。百万賭けてもエエ。

次の総選挙で、民主党ボロ負けしたら、また自民党に復党するで、

このセンセイ。

      

   それに何や、前宮崎県知事。次は都政か国政か知らんが、知事辞めたら、

宮崎の鳥インフルエンザも火山灰被害もぜんぶ、“次の人”まかせかいな。

「宮崎どげんかせんと…」とコイときながら、今や次の権力の

ステップアップで、頭いっぱいやないか。

 

   ワシは別に、お笑い芸人が知事なったらイカンと言うとるんやないで。

“お笑い芸人”が戦場ジャーナリストを勝手に名乗っ取るのんとは違い、

ちゃんと選挙で県民が選んだんやからな。

 

   それに人間は成長するという事実を、不肖・宮嶋、否定するもんやない。

ワシが現役の写真週刊誌(フライデー編集部)のカメラマンやっとったときに、

この前宮崎県知事は集団で殴り込みをかけよったのである。

それが、宮崎県民の8割までもが支持する知事に成長したのである。

昨年の参院選の前は、自民党総裁、下手したら、わが国の首相に

なるつもりやったんやで。

      

   だから、政治家は「国民のため、県民のため」ときれいごと言うとらんと、

はっきり言うたらエエんや。「権力や名誉、富がほしいから立候補した」とな。

 

   ワシは言うぞ。「おのれの野心を満足させるため、日本一の報道カメラマンの

名誉を得るため」仕事やっとるんや。(カメラマン)

 

 

            20112月 25日 中国の高速鉄道にはご用心

   最近アメリカのカルフォルニア州知事が日本の新幹線を視察に来た。

   州内に高速鉄道を導入するらしい。

   非常に満足して帰って行ったと聞きました。

   しかし後になって、情報では、中国の高速鉄道を導入するらしいのです。

   理由は価格が安いからのようです。

   中国の高速鉄道は日本の新幹線技術を輸出して出来た高速鉄道だが、

   その技術は最新のものではないのです。

   中国は技術革新で最新のものにしたということのようだが、怪しい限りです。

   ご存じのように、中国は地震がない国ですから、

その方面がどうも懸念されるところです。

カルフォルニアは地震で度々大きな被害が発生していますから、

安易に安いからと言って、中国の車両を輸入する事は懸念されるところですね。

中国の新幹線には乗らない方がいいと思われます。

以下そのことについて述べています。

 

 

沢利之提供:金融そして時々山

http://news.livedoor.com/article/detail/5356693/

ニューヨーク・タイムズに中国の鉄道大臣・劉志軍氏Liu Zhijun

首になったという記事が出ていた。

劉大臣は汚職の嫌疑で解雇され、党の懲罰委員会の尋問を受けている。

だが大臣級の大物が単なる汚職嫌疑で解雇されるというのは中国では

稀なケースだ。

ニューヨーク・タイムズは劉大臣の解雇の背景にはもっと大きな問題が

潜んでいるだろうと推測する。

 

大きな問題は幾つかあるが、その一つは高速鉄道の安全性に関する問題である。

タイムズは次の鉄道大臣と目されるSheng Guangzu

「質と安全を鉄道建設の中心課題とし、安全性を

トップ・プライオリティにする」と述べていることから、

劉大臣が推し進めた鉄道網建設に安全上の

大きな問題があるのではないかと推測している。

      

今のところ高速鉄道の事故は起きていない(在来線では時々事故があるが)。

しかし鉄道省に関係の深い人物の話では基礎のコンクリート

(枕木等か?)の材質が安物で、数年の内にレールの直線性が劣化し、

現在の速度を維持できなくなる可能性があるとということだ。

詳しくいうと、現在の新幹線の速度は時速約350kmだが、

5年以内に300km以下での走行にしか耐えられなくなる

可能性があるということだ。

 

強いコンクリートを作るには、大量のフライアッシュ

(飛散灰)が必要だが、石炭燃焼時の副産物であるフライアッシュの

確保が間に合っていないということだ。

 

また中国は鉄道建設コストを欧米・日本のレベルに較べて大幅に

抑え込んでいる。中国の鉄道建設コストは1マイル15百万ドルだが、

米国では40百万ドルから80百万ドルかかると予想される。

いくら中国の人件費が安いとはいえ「手抜き」が多い感じがする。

      

JR東海の葛西社長はFTに「中国は日本のデザインに基づく列車を

25%速い速度で走らせている。

中国の鉄道省は我々と同じレベルで安全性に注意を払っているとは思えない」と

見解を述べている。

 

これ程建設コストを抑えているにも関わらず、中国の民生銀行の

レポートによると、鉄道省の債務比率は現在で総資産の56%で、

2020年には70%に達する可能性がある。

同レポートでは新幹線の利用率が高くても、20年間は赤字続きということだ。

 

新幹線の切符代が在来線の数倍という高さにも国民の非難が高まっている。

混んでいる上、ヤミ切符はさらに高いからだ。

劉大臣が解雇だれた時期が新幹線に対する国民の不満が高まった

中国の正月直後というのは、重要な意味を持つのではないか?

とタイムズは結んでいた。

      

☆   ☆    ☆

 

高速度で成長を続ける中国経済を象徴するのが中国の高速鉄道網だ。

だが建設スケジュールと予算を重視する余り、安全性が軽視されていたことは

否めない。日本の新幹線を真似した車両で、十分なテストもせず、

25%も早く走らせているとすれば大変危険な話だ。

 

公害、環境汚染問題など高度成長と並行して、色々な問題が中国では

高まっている。高速鉄道も大きな懸念材料になってきたかもしれない。

金融そして時々山

    

沢利之氏

 

元三井アセット信託銀行執行役員。神戸大学山岳会会員。

月刊誌「ニューファイナンス」コラムニスト。

 

 

           20112月 24日 情が理をしのぐとき

   バブルの時はサラリーマンに土地よこせ運動が起きました。

   地価が高騰して庶民の手が届かなくなった結果政治的に土地の

価格を下げる様に圧力が掛ったのでした。

政府は様々な施策を講じて土地に対する融資をストップさせるようにしました。

その結果バブルがはじけて、土地価格が暴落してしまったのです。

景気は悪くなり、企業の売り上げも低下し、サラリーマンの給料も減給し、

ボーナスも少なくなりました。

土地価格は下がったが、住宅購入者の所得も下がったのです。

結局不平を言っていた人たちは土地価格が下がっても

住宅地の購入は出来なかったのです。

情が理を超えた結果は惨憺たるものになりました。

為政者はそのことをよく噛み締めなければならないのです。

住宅地の購入はサラリーマンが退職金で、初めて購入出来る

相当額が基本なのです。

コツコツとまじめに働いて、やっと手に要るのがマイホームなのです。

親子2代にわたってその維持をしていくのが当たり前なのです。

そこに親子の生活の基盤があり家族制度が維持できる社会となるのです。

以下の記事はそのことを深く考えさせる内容です。

 

 

   号砲が鳴った今春闘では、給与総額の1%増を求める連合と、

景気の先行き不透明感から、これに難色を示す日本経団連が対立している。

 

   韓国製品などに追い抜かれる分野が続出し、競争力低下が

現実のものとなった産業界が人件費増額をしぶるのは理解できる。

賃上げの原資にすべきだと、槍玉(やりだま)に上がっている

「分厚い内部留保」は、借金を抱える企業は返済にあてねばならないし、

稼働している設備の価値も含まれている。

したがって、すべてが自由に使えるお金ではなく、簡単に雇用や賃金に

回せるものではない。

 

   労組側が攻めどころにする、過去最高を更新した企業の手元資金

(現金・預金)についても、競争激化に備えての財務体質強化に

必要という経営側の主張も、恐らく、正しい。

            

   しかし、批判する側が、非正規社員の増加とともに内部留保が

積み上がっている、その多くが株式や社債などの購入に

回っているではないかと攻撃してくると、一定の説得力を持つのも確かだ。

 

   加えて、今春就職を希望する大学卒業予定者の3人に1人の

行き先がいまだ決まらぬ現実を見せられると、もはや「理」ではなく

「情」の部分で「企業ももう少しなんとかできないか」という

気分が蔓延(まんえん)する可能性はある。

 

この「情」や「気分」は決して無視できない。

約20年前のバブル時代、土地や株式などの価格が高騰した。

大都市圏の庶民は持ち家をあきらめ、家賃の2〜3割アップをいきなり

通告する家主は珍しくなかった。

相続税が払えずに都心を離れる人も続出した。

それでも金融機関の不動産取引融資は止まらず、それに後押しされた

業者は土地を買い続けた。

          

   こうして「地価高騰は悪」のムードが広がった結果が、

不動産融資規制、地価税創設、金融引き締めによるバブル潰しであり、

「失われた10年、20年」の幕を開いてしまった。

「情」や「気分」が、人為的に、しかも徹底的にバブルを

潰すことの危険性を訴える「理」に勝ったのだ。

そして当時は私自身、バブル潰しを最優先にすべきだと

感じていたことは言っておかねばならない。

 

   企業が好業績を維持する一方で、雇用や賃金を抑制する状況が続けば、

再び「情」が「理」をしのぐときが来るかもしれない。

冷静な議論とは「理」のみを訴え、「情」を無視することではない。

そこを見誤ると、誰の利益にもならない。(編集長 小林毅)

 

 

 

 

            2011223 日 エジプトの混乱

   エジプトの民主化運動は衝撃的だった。

   一部の独裁者が金と利権を専横する時代は終わりに近付いている。

   貧しい大多数の民衆が蜂起するのは当たり前の世の中になっているのだ。

   どんない厳しい言論統制を敷いても、インターネットの普及で

網の目はすぐこぼれてしまうし、情報の伝達が格段に速く

なってしまったからだ。

これは情報革命がもたらした結果なのです。

時の為政者はぼんやりしていると寝首を掻かれる結果になるのです。

また、エジプトの民衆蜂起はリビアの反乱を呼び込んでいます。

本当になにが起こるか皆目分からないのが、今の世の中なのです。

独裁体制を敷いている他の諸国は戦々恐々でしょうね。

 

 

   http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5376

チュニジアの露天で野菜や果物を売っていた青年の逮捕が

連鎖反応を呼び起こし、今やエジプト政府を転覆させかねない運動に

至るまで、たった6週間しかかからなかった。

 

   専制政治への反乱がアラブ世界に広がっていく様子を見るのは、

刺激的であり、励みにもなる。その一方で、世界の主要大国は強い

警戒心を抱いている。

思惑は様々だが、どの国も現状維持が好ましいと思っているからだ。

 

   米国が不安を覚えていることは明らかで、既に散々指摘されている。

世界唯一の超大国であり、エジプトのホスニ・ムバラク大統領にとっては

国外最大のスポンサーでもある米国には誰もが注目するところだ。

しかし、エジプトの混乱は欧州ばかりか中国の指導者層にとってさえも

心配の種になるだろう。

          

老いゆく欧州の不安

   欧州の人々は以前から、自分たちの大陸が老いつつあり、

狭い海を挟んだ対岸には自分たちよりはるかに貧しく、

はるかに若い北アフリカ・アラブの世界が存在することを痛感していた。

 

   そのため、チュニジアやエジプトといった国々での経済や政治の

停滞にはずっと不安感を抱きながら、そうした国々の指導者層とは

緊密な協力を続けてきた。

テロから不法移民に至るまで、あらゆる災難と戦うためだった。

 

   そして今、欧州の人々は、チュニジアのジン・アビディン・ベンアリ

前大統領などと自分たちの国の指導者が抱擁を交わしている

昔の写真を見て、ばつの悪い思いにかられている。

 

   長期的に見れば、今よりも活気があって自由な社会が

地中海の対岸に登場することは、欧州にとって強い追い風になる

可能性がある。

ただ短期的には、社会的・政治的混乱への恐怖心の方が先に立つ。

            

中国がエジプトの混乱を気にかける理由

 

中国の指導者としては、1989年の天安門広場での抗議活動を

思い出さないわけにはいかない・・・〔AFPBB News

   一方、何千キロも離れたところにいる中国の指導者層が

カイロの街頭で起きていることを気にするのは一体なぜなのだろうか。

 

   それは、民主主義を支持するデモの参加者たちがカイロのタハリール広場を

埋め尽くす光景が、1989年の天安門広場の出来事を彷彿させるからだ。

 

   もちろん、硬化したエジプトの経済に比べれば中国経済ははるかに強く、

活力に満ちている。

しかし、エジプトの反乱を招いた要因のいくつかには、中国政府にも

思い当たるふしがあるかもしれない。

 

   汚職に対する多くの国民の怒り、食料品価格の上昇による社会の不安定化、

若年層の高失業、大規模な抗議行動に人々を動員できるインターネットの存在、

支配するエリート層と彼らが支配しようとしている人々との

格差などがその主なところだ。

 

   言うまでもなく、チュニジアからエジプトに伝染した政治運動が

一足飛びにアジアに飛び火する可能性は極めて小さい。

しかし、民主主義と独裁主義の思想対決は再び形勢が変わりつつある。

 

   皮肉なことに、アラブ世界における民主化運動は、専制政治が

再びもてはやされるようになるのかと思われたちょうどその時期に始まった。

          

廃れかけていた民主主義

   最終的には民主主義が勝ち残るという1989年当時の考え方を

「歴史の終わり」という表現に凝縮したことで知られる

フランシス・フクヤマ氏は先日、本紙(フィナンシャル・タイムズ)への

寄稿で、中国について「大きくかつ複雑な問題に迅速に決断を下せる、

それも比較的良い判断を下せる」と称賛する一方、

米国の民主主義については「政府が内輪もめに陥って統治できなく

なっているようでは、どの国にとっても大した手本にはなれない」と

嘆いていた。

         

   また今月発行されたダンビサ・モヨ氏の話題の新刊

How The West Was Lost(いかにして西側は失われたのか)』も、

西側民主主義国の「経済的な愚行」を嘆きながら、中国の活力を称賛している。

 

民主主義か独裁主義かという大きな枠組みでとらえるなら、

カイロの街頭で自由を求めるデモが繰り広げられている光景は、

西側の人々にとって非常に喜ばしいものだろう。

 

   民主主義は世界中に広がっていくものであり、アラブ世界も

いつまでも例外ではいられないとずっと主張してきた新保守主義者

(ネオコン)たちは、自分たちの言った通りになったじゃないかと

主張したい気持ちになるかもしれない。

           

米国とエジプトの微妙な関係

 

エジプト人の8割以上が米国を好意的に見ていない

(写真はカイロ中心部のタハリール広場に集まるデモ参加者ら)〔AFPBB News

   しかし、もちろん、事情はもっと複雑だ。

もしエジプトに民主主義が訪れるとしたら、それはイラクで試されたように

米軍の戦車に続いてやって来るわけではない。

実際、カイロでは、米軍の兵器はもっぱらデモ参加者に向けられている。

 

   ムバラク政権は軍事援助として毎年10億ドル以上の資金を米国から得ている。

昨年のピュー・グローバル・アティテュード調査では、

米国を好意的に見ているエジプト人は全体の17%どまりで、

82%が好意的でないという結果が出た。

          

   米国に対する評価の低さは、すべての調査対象国の中で最低だった。

こうした数字は、民主的なエジプトが今よりずっと米国に

敵対的になりかねないことを示唆している。

 

   中東地域における新たな混乱は、折しもアジアの台頭がもたらす

歴史的な課題と米国経済の復活に集中しようとしている

バラク・オバマ米大統領が、今何より望んでいないことだ。

何しろ、中国が過去10年間に猛烈な勢いで前進を遂げる間、

米国は中東に関心を奪われ、人命とカネを失った。

 

   しかし、新しい課題に専念しようとする努力は、中東地域の新たな

危機勃発によって妨げられる恐れがある。

映画「ゴッドファーザー」でマイケル・コルレオーネが嘆いたように、

「抜け出したと思った途端に連中に引き戻される」というわけだ。

          

民主化に成功したインドネシア

   エジプトの先行きに対する米国の思考は、言うまでもなく、イラン革命の

記憶に取りつかれている。西側諸国の自由主義者たちは1979年のシャー転覆を

歓迎したが、結局、シャー以上に悪い体制が後を継いだだけだった。

1つ、ムバラク政権の崩壊を明らかに喜ぶだろう中東の政権はイラン政府だ。

 

   とはいえ、イランはイスラム世界で専制政治に対する民衆の反乱が

成功した唯一の例ではない。

インドネシアはもっと励みになる可能性を示している。

インドネシアでは1998年に、32年間続いたスハルト体制が倒された。

そして今、同国はちゃんと機能し、次第に豊かさを増す民主主義国だ。

それも起こり得るのである。

 

    エジプトの民衆蜂起は紛れもなく危険な局面だ。それと同時に、

アラブ世界で数十年なかった最も有望な出来事でもある。

 

 

 

 

 

           20112月 22日 普通の同盟

   敗戦後米国は、米国の都合がいいような憲法を日本に押し付けました。

    表面上は日本の恒久平和を望んで作った、

世界に例を見ない「戦争放棄や、武力を行使しない」条文を含んだ

平和憲法であるが、世の中の理想と現実をわきまえない学者が作った

憲法でありました。

理想は理想として、戦勝国が100年間は日本が起き上がれないよう計画した

憲法だったのです。

この憲法を後生大事に守り抜いてきて、今日本は他国からの侵略にさらされ、

国の尊厳も無くし、日本が日本で無くなりつつあるのです。

1000年以上続く誇り高い王国の存亡の危機にさらされているのです。

憲法改正の声が高まりましたが、現実には国会議員の3分の2以上の

賛成でなければ憲法改正の国民投票への発議が出来ない仕組みとなっている

憲法の条文は現実的には改正が非常に難しいのです。

3分の1の反対があれば発議さえできないと言う事は、

民主主義のルールに反することで、2分の1以上の賛成で決議していくという

民主主義のルールをも無視する、反民主主義の憲法なのです。

民主党を含む左翼の方たちには都合がいいでしょうが、

日本の誇りある尊厳を大事にする方達からすると、

日本をダメにしてしまう憲法なのです。

今国民は良く考えなければなりません。

大多数の人からすれば、毎日が平和であればいいのでしょうが、

その平和が怪しくなってきている現実をよく知る必要があります。

国民皆がよく考えて憲法改正を望んでいかなければいつまでたっても

米国に守ってもらう様な卑屈な国家のままでいるのです。

しかし、自分の血を流して守らない国を、米国人の血を流して守る事は

決してない事を肝に銘じなければなりません。

「誰かが日本を守る」事は決してありませんね。

自国は自国で守らなければなりません。

その為に憲法を改正しなければならないのです。

 

 

日本に憲法改正促す 「普通の同盟」訴え 前米国家情報長官

 

インタビューに答えるデニス・ブレア前米国家情報長官(共同)

  オバマ米政権で情報機関を統括する国家情報長官(閣僚級)を

昨年5月まで務めたデニス・ブレア退役海軍大将(64)が

7日までに共同通信と単独会見、米軍が軍事力を提供する一方、

日本が米軍駐留経費を負担する日米安全保障体制をよりバランスの取れた

「普通の同盟」に変えていくため、政府解釈で集団的自衛権の行使を

禁じている憲法9条の見直しを促した。

         

   最近まで米政権の要職に就いていた人物が日本の憲法改正に言及するのは

極めて異例。

ブレア氏の発言は、北朝鮮の核・ミサイルの脅威が高まる中、

「非対称」とされる日米安保体制の在り方をめぐり、

米側に不満がくすぶっている現状を浮き彫りにした。

           

   ブレア氏は1999年から約3年間、アジア太平洋地域を統括する太

平洋軍(司令部ハワイ)の司令官を務め、日米関係に精通している。(共同)

 

 

 

   

           20112月 21日ハッピーマンデーの憂鬱

   休日の意味は何だろう。

   祝日だから休日にするのは分かります。

   それは国民皆が「その日は意義ある日だから祝いましょう」

   と言うのであれば意味があるのです。

   しかし連休にしたい為に日を変えるごときは本末転倒であるような気がします。

   民主党はその日も地域によって変えようとしています。

   旅行業者は喜ぶでしょうが!

これもナンセンスな事です。

   意義ある日を変えることで、歴史ある日の意味を弱めたい意図が

      うかがえますね。

   祝日に国民が国旗を掲揚する事も少なくなりました。

   左翼の理想とする状態になって来ています。

   これも誤ったマスコミの国民操縦策の表れなのでしょうか?

   特にNHKは猛省すべきです。それは国民から義務的に視聴料をとりながら、

偏向報道に手を貸しているからです。

以下産経新聞の抜粋です。

 

 

   友人に1月15日生まれが2人いる。ひとりは成人(なると)、

もうひとりは成次(せいじ)。1月15日は成人の日なので、

前者はそのまま名前とし、後者は次男だったため、

成人の成と次男の次を合体させ、名前としたのであろう。

 

   だが、いまは成人の日が何日なのかは決まっていない。

祝日法が改正されて、成人の日は1月の第2月曜とされたからである。

月曜日を祝日とすることで、土日月の3連休となり、

日ごろお疲れの国民のみなさんに、大いに休暇をとっていただこうという、

政府の有り難い思し召しによる改正だった。旅行業界や旅館業界も大いに

後押ししたとか。

   

   これをハッピーマンデー制度というらしい。成人の日と同じように、

10月10日の体育の日も10月の第2月曜になった。

いずれも平成12年から実施されている。平成14年からは、

7月20日の海の日、9月15日の敬老の日もそれぞれの月の

第3月曜に変更になった。

            

   こうして月曜の祝日が増え、ただでさえ振り替え休日で、

月曜が休みになるケースがあり、大学などでは、カリキュラムの

作成に頭を悩ませているそうだが、それよりも問題なのは、

祝祭日の意味が失われてしまっていることだ。

 

   1月15日は小正月であり、どんど焼きである。

要するに、この日をもって正月気分は払拭だ。

江戸時代は元服式の多くが小正月に合わせて行われ、

若者は正月気分はもちろん、稚気を去り、大人としての自覚をもった。

 

   

   体育の日は記憶に新しい東京オリンピックの開会式の日であり、

戦後の日本の復興を象徴した日でもあった。

海の日は明治天皇に、敬老の日は元正天皇に由来するとされる。

こうした伝統があって、それぞれの日は祝日となっているのであって、

3連休のための月曜日ではどうにもしまらないし、

休みの意味を考えることもない。

          

   4月29日の昭和天皇の誕生日も、意味不明であった緑の日から、

ようやく昭和の日と名称変更された。同じく明治天皇の誕生日である

11月3日も、文化の日よりも明治の日とした方が元気だった

明治時代を振り返るのにふさわしいではないか。

   

   戦後、われわれは多くの文化伝統を捨ててしまったが、

日本の未来の活力を生み出すうえで、過去を振り返る重要性は

さらに増している。

   

   成人の日に誕生日を迎えられなかった成人君や成次君の

憂鬱は今年も深いのであった。

   

(編集委員 大野敏明)

       

           20112月 18日 安全地帯をゆく卑怯者

   卑怯者は戦前もいたのだ。

   仙石氏みたいな卑怯者はそう多くはないと思っていたが、

   その時代時代にいやな方はいるものですね。

   そいう方はだいたい消えてなくなる運命なのですが、

しぶとく生き残っている方もいるのですね。

悪人は残り、善人は早くなくなるとの例えもあり、世の中は色々ですね。

役人で、この様な悪い人は今の世の中、そう多くはいない事を祈ります。

 

 

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/natnews/topics/457537/

【軍事情勢】安全地帯をゆく卑怯者の系譜

    いつの時代にも卑怯者(ひきょうもの)がいる。

仙谷由人(せんごく・よしと)前官房長官(64)は現代を「代表」する

卑怯者である。10月18日の参議院決算委員会で、丸山和也参院議員

(64)が、沖縄県・尖閣(せんかく)諸島沖で起きた中国漁船衝突事件の

中国人船長釈放後、仙谷氏と交わした以下の会話を暴露した際の答弁にも

「代表」としての“風格”が漂う。

    ■「最近健忘症に…」

   「私が電話で『訴追し、判決を得て送還するのが法に従った粛々

(しゅくしゅく)とした措置ではないか』と申し上げたら、

長官は『APEC(アジア太平洋経済協力会議)が吹っ飛んでしまう』と

言いましたね」

   事実なら、仙谷氏や菅直人首相(64)は11月13〜14日に

横浜で開かれるAPEC首脳会議に中国の胡錦濤(こ・きんとう)

国家主席(67)が出席することに配慮し「政治判断」で釈放したことになる。

「刑事訴訟法の意を体してそういう判断に到達したと報告を受けた。

それはそれとして了としている」と、検察に責任転嫁したこれまでの

答弁は虚偽だったということだ。答えに窮した仙谷氏はこうとぼけた。

   「最近健忘症にかかっているのか…。

電話で暴露されたような会話をした記憶は全くありません」

   その後の記者会見で、仙谷氏は丸山氏との会話は認めたが、内容は

「全く記憶にない」と逃げた。

「健忘症」発言にせよ「検察への責任転嫁」にせよ、政治家として

あまりに卑怯千万な振る舞いだ。

   ■「仙谷的」なる人物

   だが、歴史の舞台には度々(たびたび)「仙谷的」人物が、

その醜悪な顔をのぞかせる。

大東亜戦争(1941〜45年)において、内務省から沖縄県知事に任命

(官選)されたI知事は、わが身の安全を企図(きと)し、

沖縄戦が近付くと、沖縄を脱出すべくコネを駆使して転出運動に

邁進(まいしん)した。副知事格の内政部長も、

口実を設けては本土に出張を繰り返した。

県民の疎開や食料の調達・備蓄、戦場での避難経路の策定など、

県政を担う高級官僚には、緊急にやらねばならぬ課題が山積していた、

のにである。

   さらに、空襲により那覇(なは)市が焼け野原と化した1944

(昭和19)年10月を境に、官僚らの卑怯ぶりはさらに度を超し始める。

Iは寝間着のまま官舎の防空壕(ぼうくうごう)に飛び込み、

被害状況の把握もしない。

その後は、警報の度に12キロも離れた普天間(ふてんま)の

地方事務所に逃れた。

内政部長のごときは東京へ“出張”していたが空襲から3日後、

突如福岡に出現。

揚げ句「胃腸の治療」とやらで大分県内の湯治場(とうじば)に

駆け込んでいる。

   トドメはIの44年末の転出であった。

もっとも、Iは1年半の在任期間の3分の1近く沖縄を

留守にしており、9度目の“出張”で念願の逃亡を果たし、

他県に知事として赴任した。

大幹部たちがこの無責任であるから、部下の“出張”は激増し、

次々に職場放棄していった。

警察部と経済・土木部門の職員を除き、県庁内に陣取る職員の姿は

見られなかった。那覇市も同様で、弁護士出身の市長に至っては

「空襲で壊滅した市の再建を政府と折衝する」として沖縄を離れたが、

上京せず家族と九州に留まった。

市議会も、議長以下市議が大挙して九州に避難、議会は開会されず、

予算審議ができない惨状であった。

   ■どこまでも図太く

   3カ月の沖縄戦は22万人もの屍(しかばね)を累々と積み上げた。

その内、県民の犠牲は15万4000人。

見方によっては、前述の卑怯者どもが引き続き行政を

司(つかさど)っていたのなら、犠牲者はケタはずれに増えたに違いない。

卑怯者が敵前逃亡した後、沖縄戦のわずか2カ月前に赴任した島田叡

(あきら、1901〜45年)が後任の知事となったのがせめてもの救いだ。

組織再編し、平時業務を停止し、居残った職員を県内外への疎開と

食料確保だけに専念させた。

極めて強固な信念に支えられたその行政手腕は、

犠牲者を20万人減じたともいわれる。

   内務省は島田の前に何人かに就任を打診していたが、

いずれも拒絶。島田夫人が赴任を憂うと「おれが断ったら

誰かが行かなならん」と応えている。

既に死を覚悟していたのだ。実際、日本刀と拳銃(けんじゅう)2丁、

青酸カリを忍ばせ沖縄入りしている。

   島田を支えたのが、島田赴任まで卑怯者どもの下で1年半、

孤軍奮闘した荒井退造県警察部長(1900〜45年)で、

県民の疎開をIに訴えた。だが、疎開実施は事態の深刻さを天下に

示すことになり、沖縄から脱出でき難くなる−と踏んだIは執拗

(しつよう)に反対し続けた。

荒井はIの理解がないまま、延べ187隻の疎開船で

県民7万3000人を運ぶ一方、県民を督励(とくれい)して

飛行場や防空壕の急造を敢行した。

   2人の英傑の遺体は発見されていないが、自決説が有力だ。片やIは84

(昭和59)年、老衰で死去、享年86歳であった。

そのころ街には「安全地帯」の「ワインレッドの心」が流れていた。

島田は妻を説得する際「卑怯者として外も歩けんようになる」とも

語っているが、卑怯者はどこまでも図太(ずぶと)く

「安全地帯」を歩いていたのである。

   (九州総局長 野口裕之/SANKEI EXPRESS)

 

 

 

 

           20112月 17日街中にある活性化のヒント

   景気が悪くなって長いが、デフレスパイラルのせいばかりではないようだ。

   世の中の変化の波が大きくなり、旧態依然とした考え方では、

この波を乗り越える事は難しい。

スクラップ&ビルドと言うけれど、能力のない人には過酷で、

スクラップされっぱなしでたちあがる事も出来ないのです。

しかし考え方を変えれば、沈みっぱなしの人でも、

生きながらえている事を思えば、

贅沢さえしなければどうにか生きていける事も、現実なのです。

世の中の変化に対応するヒントは色んなところにありそうだ。

以下の記事からも勉強になります。

 

【産経新聞より抜粋】

   新年が明けても景気はパッとしない。就職戦線は厳しく、

給与所得も下降線をたどり続けている。消費が本格的に上向くには

まだまだ時間がかかりそうで「今年の景気は横ばいの域を出ない」と

またもや暗い予測をしてしまう。

 

   残念なのは、このもやもや状態が長期化しそうなことだ。

日本経済の将来については悲観的な見方も多い。

最大の懸念材料は人口減少と高齢化だ。平成17年をピークに人口は

自然減に転じており、生産年齢人口はその10年前から減り始めている。

生産も消費も減少する「縮小」が始まりつつあるわけだが、

最近はさらに、資源高や円高、ライバル国との価格競争の激化、

政治の混迷が下り坂に立つ日本経済の背中を押している。

この結果、将来の成長が見通せなくなり、閉塞(へいそく)感が

広がっている。

      

   もちろん日本経済が即死するわけではない。

見回せば、好調な業種や企業はある。

彼らの成功の中に、閉塞感打破のヒントが潜んでいるような気がする。

 

   例えば、わが家の近所の元気な鮮魚店。

大きな店ではないが、魚種が豊富で安い。

年末の店内は身動きが取れなくなるほどで、小さな商店街全体が

盛り上がっている。

早朝から焼きたてパンを目当てに車が集まるベーカリーもある。

店の外のテーブルで朝食を取る家族で、週末の早朝からにぎわう。

恐らく、皆さんのご近所にもこのような人気店があるはずだ。

 

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に参加すれば「廃業が増える」と

言われる第1次産業でもヒントはある。

千葉県鋸南(きょなん)町保田にある漁協直営の鮮魚食堂は休日ともなれば

順番待ちの客であふれる。

最近増えている農産物直売所では、地産地消のレストランを

併設して人気を集めているところもある。

食糧安全保障の域までは至らないが、働く人の表情は明るい。収入が上がり、

働きがいがあれば、自給率拡大という太い幹にならないともかぎらない。

     

  他のどの国々より急速に高齢化しており、人口も減り始めている日本は、

1次産業だけでなく、従来型の産業も変わらなければ生き残れないかもしれない。

変化には軋轢(あつれき)がつきものだ。

大きな痛みを伴うものであれば、それはなおさらだが、

どうせ変わらなければならないのであれば、将来を感じられるような

明るい変化を探りたい。

 

  ヒントは街中にあふれている。波乱が多いうさぎ年。

経済本部の取材テーマは、このあたりが柱のひとつとなる。

   (経済本部長 谷口正晃)

 

 

        

          2011215日  小学6年 龍馬君の訴え

学校の先生は受難の時です。

先生方が信奉する日教組の教育方針で自由ばかり教え義務を

教えなかった付けが今になって噴き出ているのです。

学級崩壊が始まって久しいが、今の子供たちの教育をしているのが

団塊の世代の子供たちなのです。

団塊の世代はデモシカ先生が横行していました。

すなわち日教組に毒された先生たちが子供の教育はそっちのけで

デモばかりしていて、平和教育という美名のもとに、連帯や、義務や、

相手を尊重するという基本的な教育をおろそかにしてきたのです。

誤った教育の下に育った親がその子供を教育する時にまた誤った躾を

するのです。

親を軽んじ、父親を軽んじ、友達を軽んじ、

世の中を軽んじる子供たちが沢山出て来たのです。

家庭の躾が良く出来ている家庭には間違った子供は出来ません。

この事を深く反省するどころか、

自分が日本人で、この国を大切にするような教育をしていません。

この事が教育をゆがめている原因のようです。

その結果の一現象が以下の記事に表れているのです。

 

 

TOSS代表・向山洋一 小学6年「龍馬君」の訴え

 

   小学校、中学校の学級で騒乱状態になっている所がある。

 

   ほとんどの学校で、学級崩壊状態のクラスが見られ、

「学年全部が崩壊」している所もめずらしくない。

 

   学校崩壊さえ生まれている。

 

   主たる原因は二つである。

 

   一つは、教師の授業の力量が未熟なこと。教師の発言が、

何を言っているのか分からなかったり、長々としゃべったりする場合、

子供たちは反乱する。

 

   一つは、発達障害の子への対応を教師が正しくできない場合。

本来なら、立派に育っていく子供たちを教師がスポイルして

しまっているのである。教師の罪は重い。

         

   小学校6年生の龍馬君が書いた「すべての先生へ、発達障害を

理解してほしい」という2冊の本(TOSSサイトで購入可能)が

全国の学校、医療機関などに広がっている。1カ月で3万冊が発刊された。

 

   龍馬君は、その中で言う。

 

   ◇六年生だから自分で考えて行動しろと言われると、

何をすればいいのか分からなくなる。

 

   ◇陸上練習のとき、口で「こうやって」と言葉だけで指示されて、

分からなくてできなかった。

 

   ◇国語で「どんな様子ですか」「どう思いますか」と質問されると、

意味が分からず、イライラしてくる。

 

   ◇やってはいけない事を、たとえ話でされると、さっぱり分からない。

 

   ◇顔の表情や身ぶりで何かを伝えようとされると、さっぱり分からない。

 

 ◇必要な言葉で、はっきりと伝えてほしい。

 

   ◇手のコントロールができないからバランスよく字が書けません。

             

   「きれいに」「ていねいに」と言われるけど、何がきれいなのか、

何がていねいなのか分かりません。

 

茨城県のつくば国際会議場での学会で、千人の先生方に、

龍馬君の訴えを紹介した。会場が息をのんだ。

 

   学会終了後のアンケートには「衝撃的だった」「今までの教え子に

申し訳ないと思った」「教師として勉強し直さなくてはならないと思った」と

いう感想が書かれていた。

            

   小中学校の「授業」の基本は「教えて」「ほめる」ことなのである。

 

   「教えて」「ほめる」授業なら、1時間の授業でいっぱい「ほめる」授業なら、

どの子も育っていく。

 

   算数の市販テストのクラス平均が90点以上に、どのクラスもできる。

 

   算数テストが5点、10点の子が、90点、100点をとった例も何百、

何千とある。

          

   ところが「教えない」で「叱る」授業がある。

「自分で考えなさい」と教えないで、「どうしてできないの」と叱るのである。

 

   教科書を使わない算数の授業が全国にはびこっている。

 

   2割はいる「発達障害」「境界知能」の子供たちは、「分からなくて」

「怒鳴られて」反乱していくのである。怒鳴る教師は、

子供の心を破壊しているのである。

 

   ある県の知事は、700人もの職員の前で、龍馬君のような子供の訴えを

受けとめてほしいと指示した。

 

   多くの学校で、発達障害の子への理解、対応の勉強がされている。

 

   立派に自立していける子供を、「学校の名において」スポイルしている

現状を糺(ただ)していかねばと思う。

            

【プロフィル】向山洋一

 

   むこうやま・よういち 30年以上の教員経験。「TOSS」

(教育技術法則化運動)は教員約1万人が参加。

 

 

 

 

        

           2011214日 日本人の性質

   「日本政府を私達が信頼しているか」と問われると、

   否と言うでしょう。

   民主党政権が国民の舵を握っているからです。

   ちゃんと政府が機能しているとはとても思えないのです。

   政策が朝令暮改で方針が定まらなくて、フラフラしているからです。

   一応役人は政治家より賢い為に政治が滞る事はないが、

政治が悪いため国民の信を裏切ったままなのです。

それでもデモなど後進国に有る様な非常手段の大衆騒動が起きていない点は、

国民がそれなりに豊かになり、騒動を起こすまでもないと

思っているからなのでしょう。

それだけ成熟した世の中になって来ているという事ですね。

しかし国民を甘く見てはいけませんよ。

いつでも騒動が発生する余地はあるのですから政府は心して

政治を司る必要があるでしょう。

以下産経新聞へ投稿した岡崎氏の論文です。

 

 

   国民は政府がちゃんと機能していないと思うと不安になるのである。

何のかのいっても日本人ほど政府を信頼している国民はない。

 

   かつて韓国の哲人、兪鎮午氏は私に語ってくれた。

「植民地時代日本人は韓国人には愛国心がないと軽蔑したが、

韓国人にも愛国心はある。

ただ、韓国人は歴史の中で政府の恩恵を受けた記憶が少ない。

それに反して日本人はいざという時は政府と国民が愛国心で結束する。

愛国心の表れ方が違うのだ。違うということと、善しあしということは

別のことだ」と。

 

   欧州でも中国、韓国でも、個人はいざという場合に持って逃げる

貴金属や宝石は所有している。日本人はその点、全くノーテンキで、

有り金を全部銀行か郵便局に預けて安心しきっている。

国家、社会を信用しているのである。

           

   また、官僚に対する悪口は言いたい放題であるが、それでも、

政治は時として乱れても、行政は国民の利益を守ってくれると思っていた。

それが、官僚バッシングを目の当たりにして、せめて行政組織だけは

頼りになるという安心感も持てなくなったのである。

 

   そして、口では対米追随などと批判しても、最後には米国が日本を

守ってくれると思っていた。

 

   それが、鳩山政権の時に、全て崩れてしまったのである。

 

   この経験を他人に話しているうちに、これが初めてではないという

記憶が脳裏をよぎった。

          

   ≪戦争末期、二・二六にも似て≫

 

   私の記憶に、昭和20年という年がある。それまで、

国民は緒戦の勝利に酔っていた。ところが、日本爆撃が始まって

被災者は巷(ちまた)にあふれ食料も乏しくなってきた。

その時、誰もが口にした言葉が、「日本はどうなってしまうのでしょうか」

だったことを覚えている。

 

   政府は戦況を隠していたが、政府が言うことと現実との間の乖離

(かいり)は国民の目に明らかになった。日本人が政府への

信頼を失ったもう一つの時期だったのである。

 

   さらに遡(さかのぼ)れば二・二六事件がある。

6歳だった私も当時のことはよく覚えている。大人たちは見通しのない

将来に戦(おのの)いていた。

 

   明治維新から数えて百年たったころ、老人たちに人生で何が

一番のショックだったかを訊(き)いたところ、日露戦争も

大震災も大恐慌も敗戦も経験している彼らが挙げたのは、

二・二六事件だった。

戦争も敗戦もいかに辛くても政府と国民は一体だった。

しかし、日本近代史で唯一のクーデター、二・二六事件の時は、

国民は頼るべき政府を失ったと感じたのである。

 

   幸い、こうした国民の心配ももう過去のことになりつつある。

           

≪集団的自衛権容認で安心を≫

 

 

   その後、中国、北朝鮮の挑発があったこともあり、鳩山政権時代とは

雰囲気が一変している。

菅直人政権は日米同盟基軸を高らかに謳(うた)い上げ、

米国もこれに応じている。防衛省が南西諸島防衛を言っても、

米韓演習にオブザーバーを派遣しても、どこからも反論の出ない

雰囲気となった。官僚たたきももう前のようなことはない。

 

   これは日本民族の英知だと思う。

国民感情はここまで来ている。改革のためには与謝野馨氏まで

迎え入れた度胸のある菅内閣ではないか。

この際、過去の行きがかりなど離れて、来(きた)る日米首脳会談で

集団的自衛権の行使と武器輸出三原則の見直しを宣言し、

日米同盟をより強固にして国民の不安感を悉(ことごと)く

払拭してほしい。

   日本の防衛費負担が少なすぎることは今後とも、

日米同盟強化の障害ではあろうが、当面、この経費不要の措置だけでも、

同盟を抜本的に強化し、国民に深い安心感を与えることができる。

(おかざき ひさひこ)

 

      

 

 

  

           2011210日 皇室は日本の宝

   皇室は今の日本人の日常生活からはあまり存在を感じないが、

   国の式典などでは重要な位置を占めている。

   国家の形式的な行事は皇室がする様に憲法で決まられているからです。

   権力はないが、象徴としての国の諸行事をつかさどるのが皇室の役目なのです。

    この国の建国以来、その形態は守られてきたのだが、

明治維新時にドイツの憲法を真似して天皇陛下を国家元帥とした過ちを

明治維新の新政府がしてしまったから事がおかしくなりました。

今はその誤りが正され、象徴天皇となりましたので、

歴史の正当性の中に戻りました。

天皇家はいつの時代も国家統合の象徴として生きていくべきものなのです。

それが日本のためであり日本国民の為でもあるのです。

とても素晴らしい文章があったので、ご紹介します。

   http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-733.html

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「皇室は日本の宝」 井上寛康

 

昭和天皇は生まれながらにして天皇であられた。

私心というものがなく、いつも我が国の繁栄と国民の安寧を

御心にかけておられた御方である。

 

台風や地震で災害を蒙った県知事などが上京すると必ず皇居に呼び、

被害の状況や復興の様子をお訊ねになった。

大東亜戦争で戦死した兵士やその遺族に対する敬意を忘れず、

靖国神社親拝の御意向を隠れになるまで持ち続けられた。

 

 

           
             (皇室献上の銘菓熊本土産 天草銘菓「黒まん」)

 

戦後、御自ら全国巡幸を発表された。

 

「一日も早く全国をまわり、一人でも多くの人と語り、

すこしでも広く歩いて、なぐさめたりはげましたりしていきたい。

日本の復興は一重に国民の力によるものだから、

一人一人によくたのんでこなければならない」と仰せになって、

昭和二十一年二月からお始めになられた。

 

適当な宿泊所がなければ校舎や客車に御休みになった。

陛下は沿道の人々の歓迎に応えるため御召列車の中で

殆んど立ち続けておられた。

        

陛下は人が見ていても見ていなくても真心をもって国民に接せられた。

 

大好きな相撲も国民がこの時間は働いているからと仰って、

五時を過ぎなければ決してテレビをおつけにならなかった。

 

このような御方であったから、大東亜戦争終戦のとき陛下の

御命令一つで過激将校は矛を収め、陛下を裏切る重臣は一人もいなかった。

 

マッカーサー連合国総司令官も一度の会見で昭和天皇に敬服した。

 

我が国の天皇は、威厳と徳をもって立つ君主である。

 

他国の君主は人民の中から武力で上がり詰めたので、わが身を国民から

守るために堅固な城に住んだ。 

それに比べ京都に残る御所は無防備な宮殿に過ぎない。

 

現在まで125代連続と続く万世一系の皇室は国の始まりから君主であり、

武力に依らず威厳によって皇統が維持されてきた。

           

絶大な権力を掌握した武将たちも決して天皇に取って代わろうとはしなかった。

 

天皇を国の中心に戴く我が国は、中国大陸における王朝の交替時のように

人口が何分の一にも激減するような凄惨な闘争は生じなかった。

 

世界に類のない穏やかな君民一体の統治体制を造り上げて来たのである。

 

明治天皇、大正天皇、昭和天皇そして今上天皇が第一に

御心に掛けておられることは皇祖皇宗への真剣な祈りである。

           

元旦の四方拝から始まって年に二十数回の祭祀を自らなさる。

 

天皇陛下は籾を播き、苗を植え、刈り取った稲を皇祖皇宗にお供えなさり、

皇后陛下は蚕を御手ずから育てて神々に捧げ、国民を代表して国の

繁栄をお祈りされている。

 

伊勢の内宮の御祭神である皇祖天照大神は天皇家の御祖先であるが、

国民もまた伊勢の神宮にお参りする。

国民が君主の御祖先にお参りすることなど、外国にはない。

         

君民一体となって国の祖先をお祭りし国の安全と平和で豊かな暮らしを

祈って来た。

これが我が国の国体である。

 

今上陛下は神々への祈りや英霊の鎮魂に取り分け熱心であられる。

 

遥か神代の時代から受け継いで来た豊で幸せなこの国を、

子々孫々に伝えたいと切に願っておられるからではなかろうか。

 

昭和天皇古希の御製

 

    よろこびもかなしみも

     民と共にして年はすぎゆき

      いまはななそぢ

 

 

このような天皇を持つわが国は幸せである。

 

 

   

       201129日 君が代

      

   「君が代」は小さいころより歌ってきたから違和感はありません。

   違和感がある人は何らかの政治的意図があって、日本国の政治体制に

反対している人たちなのです。

政治的に日本と言う国を根底から否定し、無国籍国か共産主義国に

しようとしているのです。

その様な人は世界平和を唱え如何にも軍国主義がはびこる根源は

日の丸に有る様な考え方を持っているのです。

確かに軍部の独走による敗戦が日本国の存在を危うくした事は認めます。

しかし軍部の独走は天皇陛下を日本帝国軍の最高指揮官とする

明治憲法が悪かったのであって、それを改めた日本国憲法では

最高指揮官は内閣総理大臣に有るのだから、日の丸=軍国主義=天皇制

と短絡的に考える方が異様に思えますね。

そのことを踏まえ、「君が代」の件を考察していきたいと思います。

以下プログを紹介します。

    ≪君が代≫

         http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-566.html

 

    この記事で、ボクは、君が代の歌詞の現代語への意訳として、

   「愛するあなたを未来永劫守り抜くために、小石が固まって

    岩になって、苔が生えるまで、ずっとずっと君を守る」と書きました。

 

    で、このお話をある方がご友人の方にした。

    するとそのご友人が、次のように反論したというのです。

 

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    それはかなり現代風な意訳ですね。

 

    君が代とくれば、その当時の天皇で、大抵は正月や即位の時の

    言祝ぎ(ことほぎ)の歌だし、

 

    この(今の国歌になってる)君が代の歌には「守る」とは一言も

    書いてはない。

 

    あなたの御代が永遠に続きますように、くらいの意味です。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

    で、どう答えたら良いものかとご相談をいただき、

    それに対するご回答として、以下の文を書かせていただいた次第です。

 

      

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    君が代の解釈ですね?

 

    まず、君が代ですが、江戸時代には一般の民間人のご婚礼の際の

    長歌として、普通に謳われていたということがあります。

 

    君は、天皇であり、愛する妻や子であり、祖国であり、

    郷土でもあります。

 

    なるほど歌詞に「守る」とは書いてありませんが、

 

    「書いてないから意味を持たない」

 

    という認識では、日本の和歌や俳句を理解することはできません。

    欧米の詩人からもバカにされます。

 

    行間に文字があるのが詩であり、和歌です。

    そんなあたりまえのことですら、唯物史観論に汚染された

    現代日本人にはわからなくなっている、ということです。

       

    石川啄木の一握の砂に、有名な歌があります。

 

   東海の

    小島の磯の 白砂に

         我泣きぬれて 

           蟹とたわむる

 

    この歌を、「お兄さんが、浜辺で蟹と遊びながら、泣いている

    シーンを描いた」とだけしか解釈できないなら、

    それはアホというものです。

 

    なぜ泣いているの?

 

    それは号泣なの?

    それとも静かに涙でほほを濡らしているの?

 

    なぜ蟹なの?

 

    どうして東海なの?

 

    小さな島って、どこなの?

 

    なぜあえて白い砂浜なの?

 

    要するに、それら短い文章の中の一語一語から、様々に

    想像力が膨らむ。

    その膨らみが豊かであればあるほど、名歌と呼ばれます。

    それが日本の和歌というものです。

       

    もし、和歌について、書いてないから意味がないなどと答えれば、

    小学生の国語の授業でも、答案はバツです。

 

     君が代は

      千代に八千代に

          さざれ石の 巌となりて

             苔のむすまで

 

    なぜ「大君」でなくて「君」なのか。

    なぜ、千代だけでなく、八千代とまでかさねているのか。

    さざれ石とはどのような石なのか。

    どうして「巌」なのか。なぜ「岩石」や「塊」ではいけないのか。

    どうして「苔のむすまで」なのか。

 

    そうした一語一語へのこだわりが、豊かな想像力を産みます。

 

    たとえば、「劫」という感じがあります。

 

 

    「劫」というのは、ガンジス河のほとりにある巨大な岩の

    てっぺんに、千年に一度天女が降りてきて、そのとき天女の羽衣が、

    岩のてっぺんをフワリと撫でる。

 

    撫でられた岩が、羽衣で撫でられたことですり減って、

    ついに岩そのものがなくなってしまうまでの期間が「一劫」

    なのだそうです。

     

    もし、単に未来永劫と歌うなら、「苔のむすまで」でなくて、

    「劫になるまで」でもいいはずです。

 

    しかしこの歌の作者は、単にそれを数字の単位とするのではなくて、

    あえて「苔」という表現を用いた。

 

    これはすなわち、日本が豊葦原の瑞穂の国であり、緑の国であり、

    アマテラスから天壌無窮の神勅を得た、緑を大切にする国で

    あることからきている。

 

    つまり、苔=緑であり、わたしたちは単に永遠にというのではなく、

    その間、常住して緑を大切にしていく民族であるという意味も

    この「苔」の文字の中に込められている。

 

    そういうひとこと、ひとことに深い意味を持たせ、そこから想像力を

    はたらかせながら、我と我が身を振り返って、よりよく生きるための

    手がかりにしていこうとするのが、日本人のものの考え方と

    いうものです。

 

    要するに、ボクからみれば、

    「君が代」の歌詞には、「守る」とは書いてない」という、

    その程度の 解釈ができなかったことこそ、不明であり、

    恥じ入るべきことである、といえようと思います。

        

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

    とまあ、いささか、きつい調子で文を書かせていただいた次第です。

 

    戦後左翼は、なにがなんでも「君が代」=天皇=戦争と

    結び付けたいようですが、ひとつ言わせていただければ、

    君が代という10世紀に編纂された古今和歌集に収録された

    和歌から、天皇、戦争というキーワードしか読みこなすことが

    できないという狭い了見自体におおいに問題がある。

 

    なぜ問題かというと、君が代=戦争と結びつけることで、

    そういっている左翼の人自身の人生に、何の益があるのか?

    といいたいのです。

 

    君が代を戦争礼賛の歌である、と頭から「決め付け」、そう

    「レッテルを貼る」だけで、まるでそこから「学ぼう」という

    姿勢がない。

 

    君が代が10世紀に編纂され、いまも歌い継がれていると

    いうことは、1000年の時を超えて、君が代は人々に愛され、

    口ずさまれている歌であるということです。

      

    それはなぜなのか。

 

    なぜ歌い継がれたのか。

 

    日本人の感性として、単に誰かを礼賛するだけのようなものは、

    あっという間に廃れます。

    君が代は、誰かを礼賛するとかそういう意味あいではなく、

    人々の生き方や心のおきどころに、直接ひびく内容を持った

    歌だからこそ、1000年の時を生き抜いてきたのです。

 

    その歌から、謙虚に学び、そして学んだことを自分の人生に

    活かしていく。

    それこそが、歌を愛し、歌に学ぶということなのではないかと思う。

 

    そういう謙虚さ、素直さを失うと、とたんに、君が代=軍国主義

    というような貧相で軽薄なレッテル貼りの言葉遊びに

    騙されることになる。

 

    世界中探したって、1000年前の歌詞で出来た国歌を持っている

    国なんて、他にないです。

 

    君が代は、私たち日本人の誇りです。

 

     

         20112月 8日 前向きな農業改革に期待

   農業問題は古くて新しい問題なのだ。

    耕地面積が小さいうえに農地改革で農地が分散所有されてしまい、

農業はたちゆかなくなる事は分かっていたはずだ。

戦前は農業が継続できる程、農地が集中していたため

そのままだあったらこの問題は起きなかっただろう。

マッカーサーの占領政策で小作解放の美名のもとに

農家の力を削いでしまったのです。

また、日本の底力をそぐ政策を次々と打ち出して、日本が100年間は

力を付けられないようにしてしまいました。

その結果様々な矛盾を抱えるようになったのです。

しかし今は政策でそれを乗り越える事ができるのだが、

大衆迎合をはかる政府が選挙目当てに様々な補助金を交付し、

結果的に農業は衰退し続けています。

今日はこの農業問題を取り上げます。

 

東京大・大学院教授 伊藤元重 前向きな農業改革に期待

   自由貿易協定を進めるためには、日本の農業の競争力を高める施策が

必要である、という論議が盛り上がってきた。政府も農業の

競争力強化に取り組む姿勢を見せている。大いに結構なことだ。

これを機会に日本の農業政策について徹底的に論議してほしい。

私も長いこと国際経済学の研究をしてきたが、世界のどこを見ても、

保護政策で産業に活力が生まれてきたという事例にお目にかかったことがない。

日本もかつては自動車などの産業を関税で保護していたが、

それは近いうちに自由化を進めていくという前提の下での時限的な

保護であった。またその関税率も、今の農産品のような

異常に高いものでもなかった。

       

   関税保護するということは、農業を温室の中で保護するようなものである。

温室から出たら競争力を持ち得ない、ひ弱な産業になってしまう。

関税や補助金がふんだんに提供されれば、生産者はどうしてもそれを

期待することになる。政府の支援があるのが当たり前という産業が、

長期的に健全な姿になるのだろうか。

生産者への直接的な補助金であればまだよい。

税財源から出さなければいけないから、国民もその負担を認識できる。

しかし、非常に高い関税で保護されているということは、

国民が高い農産品を買わされており、それが間接的に生産者の

支援となっていることになる。国民に負担を見えにくくする政策である。

行政や政治家にとってみれば、農業支援に税金を使うのかどうかという

表だった論議にならない、非常に都合のよい支援策である。

しかし、それでよいのだろうか。

       

   よく知られているように、日本の農家の多くは兼業農家である。

農協や役場の職員などで所得を得た上に、農業所得もある。

農業もやっているサラリーマンだ。だから、平均的なサラリーマンよりも

所得は高くなる。なぜ、普通のサラリーマンの負担で、

兼業農家に支援をしなくてはいけないのか、その理屈が分からない。

農業支援をするのであれば、農業を主たる職業としているプロ農家だけに

集中しなくてはいけない。関税率を下げていっても、プロ農家へ集中した

補助金で十分に対応できるはずだ。日本の農業は、

限られた農地にあまりに多くの農家が依存している。

農家あたりの耕作面積が低い。だから、国際競争力がない。

5年、10年かけて、兼業農家の農地をプロ農家の方に

集約していくことができれば、日本の農業の競争力は高まるはずだ。

競争力を高めていくことが、日本の農業を持続的な存在にする。

いつまでも温室の中に置いておくわけにはいかない。

       

   日本の農業の改革は待ったなしの状況である。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を進めるか否かに関係なく、

改革を進めなくてはいけない。関税保護を続けていたとしても、

今の農業政策を続けていたのでは将来は暗い。

TPPという動きが出てきて農業改革に踏み切らざるをえない

状況になったことは、日本の農業にとっては好機であるとも言える。

中国などアジア諸国の急成長は、食料に対する地域の需要を大幅に増やす

要因になることは間違いない。

日本の農業は大きく飛躍するチャンスでもある。

後ろ向きではなく、前を向いた農業改革が行われることを期待したい。

(いとう もとしげ)

 

 

 

      

         20112月 7日 アメリカの悪法

米国は自国の利益を最優先して諸外国に要求します。

中国も同じです。日本はアメリカと同盟関係あり友好国でもあるのだから、

互いの利益の調整はして当然です。

主張するべき事はハッキリ言うべきでしょう。

腹芸は通じません。

その上で相手の事も考慮するべきでしょう。

それが外交と言うものです。

何でも言いなりでは日本の利益にならないのです。

そのことを踏まえて以下のブログを読んで頂きたい。

         

Top以前に書いたアメリカの悪法がいつのまにか可決されていたようです。

(偽りの種子http://ayao77.blog.shinobi.jp/Entry/675/ )

 

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=241753

家で作った野菜を近くの直売所なんかで売ると罰せられるという

わけのわからない法律ですが・・・

来るべき時に備えて、先に手を打ったんでしょうか。

直売所なんてあったら、政府としても税金ちょろまかされる恐れがあるし、

この法律を作ることで国民に食べさせたいものだけを食べさせることができる。

 

アメリカは農業を一企業に管理されることになる。

もちろん日本は無関係でいられない。

遺伝子組み換えでない小麦や大豆は食べられなくなるかもしれない。

食べ物という命に関わる部分は国が面倒みなければいけないと思うのですが、

アメリカはもはや国家としての体をなさないんじゃないだろうか。

超独裁国家のくせに誰にもそう思わせない所がすごい。

独裁者が大統領本人じゃないせいか。

          

エジプトで暴動が起きてて、裏で誰が先導してるのかわかりませんが

(インターネットで呼びかけたくらいであれだけの人が

蜂起するはずがない)、きっかけとなったのが小麦の不作。

小麦がなければ米を食べればいいじゃない、という話ではない。

世界中の人が米に群がったらどうなる?

食糧不足というのが実感できないのが日本人の弱味。

 

これまでにありえないようなことが起こってる今、次に何が来ても

おかしくない。

例えば、小麦の一元管理とか。

世界の農業をひとつの企業が牛耳るようになればそのくらいできる。

今年は不作だからあんたの国はこれだけね。とか。

こうなるともう人間は完全な家畜だけど。

 

http://kinbricksnow.com/archives/51617425.html

中国の田舎じゃいまだに機械化が遅れているし、土地を捨てて都会に

出稼ぎした方が稼げるし、人にやらせるか、乗っ取るかといのが

中国式なんでしょうか。

           

さっきテレビで、農業団体がTPP反対の集会してたのを見た。

農家の人はいい。組合でデモ起こせるから。

でも真っ先に潰れるかもしれない国内産業はどうなるんだろう。

食べ物だったら国産を食べる人はまだまだ多いだろう。

でも、家電はどうなる?衣料品は?

ただでさえ外国製品が氾濫してるんだから、安くなってラッキーくらいしか思わないだろう。

団体になって決起できないサラリーマンは可哀想だ。

前にも書いたけど、大事なことなので何度でも

 

それにしても。

少なくとも、マスコミは日本の農業の危機ってことだけは教えてくれている。

それなのに、いまだにみんな他人事みたいだ。

 

 

 

 

   

         20112月 4日 呪われた中国

   近くて遠い国、中国。

   危険な国である事は分かっているが無視はできない。

   頭の痛い問題だが、避けて通れないのが中国問題なのです。

   私のブログでも多くの時間を割いて取り上げましたが、重要課題だからです。

   もう見たくもないとお思いだろうが事の本質をつかむために

我慢して読んで頂きたいものです。

以下ブログより引用しました。

 

 

http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-673.html

論語や漢詩、つまり膨大な漢籍を通じてしか中国を研究してこな

かった中国専門学者の罪の深さ 愚かさを過去何回もこのブログで

問うてきました。

 

今日は自然から見た過去4千年間の中国を総括してみます。

 

中国の原点は黄河文明です。今から20数年前山東省の済南市を通った時

橋の上から車を止めて黄河を初めてみました。時は冬黄河にはほとんど

水がなく河底には半分枯れかかった雑草が生えその間を少量の水が流れ

ているだけでした。

       

日本で身につけた黄河の知識は「中国北部の平原を悠々と流れる大河」

「中国の母なる大河」「黄河の流域は世界4大文明のうちの一つ」と

ロマンチックなイメージを持っていました。

 

しかし橋の上から見た黄河は雑草の間を流れる単なるドブ川にしかすぎ

ませんでした。

 

黄河の一部分しかみずに論じるのは不遜ですが、「聖なる河」と呼ぶ

にはあまりにもギャップが大きすぎてがっかりした記憶が鮮明に残って

います。

 

中国の絶望的な未来を経済や農民の暴動で論じるより環境破壊の見地

から見るほうがより適確だと思います。

       

中国の滅亡に向かって盲進しているさまは、昨日今日のことでない。

4千年間中国人の無知による自然破壊が当然の結果として、今の破滅が

あります。

 

つまり中国人は4千年かかって母なる大河である黄河を食い尽くしたの

です。もちろん黄河だけではありません、中国大陸の大地、山河が

断末魔の悲鳴を上げています。

 

おそらく黄河流域も揚子江流域も、かっては大森林によって覆われて

いたに違いありません。ところが中国人は奪うだけの民族です。

結果黄河や揚子江の森林が消えていったのです。

        

そして中国4千年史において山河崩壊のとどめを刺したのが、無知蒙昧

の毛沢東です。毛沢東は15年以内にイギリスを追い越すと世界に向かっ

て宣言しました。

 

そこで毛沢東は中国の鉄鋼生産を翌年には倍にするように命じた。

ところが中国には製鉄コンビナートを作るだけの資本も技術もなかった。

 

あせった毛沢東は思いつきで、原始的な「土法高炉」を全国に展開し、

人海戦術で鉄鋼生産を行うことを命じた。そして燃料にするために

森林は全部伐採され、消えてしまった。

 

中国人作家ユン・チアンの自伝的ノンフィクション「ワイルド・スワン」

にこのバカバカしい「土法高炉」のことが載っています。

「素人が薪をくべて作った鉄は、農機具用にすらならなかった。ユンの

家の鍋や釜も、ベッドのスプリングもすべて溶かされてしまった。

6000万人の労働者を投入して、300万トンのなんの役にも立たない『牛

の糞』のような鉄がつくられたのである」と書いています。

 

(ユン・チアンの「ワイルド・スワン」は1978年のイギリス留学までの

一族の苦難と狂人毛沢東の文化大革命のおける真実の姿を冷静な目で

捉えた傑作です。)

 

4千年間のゆっくりとした自然破壊が、毛沢東の無知によって中国の

山河は加速度的に崩壊して言ったのです。

          

痩せ細る大地、死滅する河川、工場排水のほとんどは処理されず川や湖

に流れこみ、渤海はすでに死海になり、水資源も枯渇、巨大なゴミ箱と

化した中国の地方都市、人間の生存は臨界点に達しています。

 

そして無知で狂人毛沢東の最大の罪は黄河や揚子江の源流を知らなかっ

た事です。つまり黄河や揚子江はチベット高原をとりまく山脈から発し

ているのです。

 

そのチベットに毛沢東は突然侵入を開始、その結果百万人以上のチベッ

ト人が殺され、六千以上あった寺院をことごとく破壊し、焼き払い、

仏教僧を血祭りにあげていきました。

 

そして愚かにもチベット原生林の60%以上がすでに丸裸にされて

しまった。チベットにおける広い領域での森林伐採、地肌の露出に

よって黄河や揚子江の氾濫と破壊を引き起こし、沈殿の流出を悪化

させています。

 

それだけではなく中国は核廃棄物をチベットに投棄、その地域での

チベット人の激しい発熱、嘔吐など不可解な死が頻発しています。

 

チベットだけではなく中国大河の下流域の相当な地域にも汚染が

広がってきています。まさに天に唾です。

中国の拝金主義における近代化政策は13億人民の自殺行為です。

 

無知で不道徳で野蛮な中国人が地球を破滅に導いていきます。

 

        

           20112月 3日 与謝野改革の虚実

   与謝野氏はなんと不可解な人だ。

   政党人としてあるまじきことを次から次と繰り出す。

   貞操がないというか、信念がないというか、晩年を非難と怒号の中で

終わろうとしているのだ。

政治改革を成し遂げる為に敵とも組むとは勇ましい事だが、

どうもその様には見えないのです。

「あえて火中のクリを拾った」と本人は言うかもしれないが、

今求められているのは民主党内閣を退陣に持って行き

保守本流の政治に戻すことです。

この事が日本の為になるのです。

左翼政党が政権を牛耳っていることから来る国民とのかい離した政策を

終了させる事が急務なのです。

その意味で与謝野氏は不可解な人物です。

彼の政治生命はこれで終わるだろう。

政治家は国民の為に粉骨砕身で働かなければならない事を

理解していないようだ。

 

【与謝野改革の虚実(上)】

四面楚歌で挑む難題、覚悟の嫌われ役、是清気取りか?

 首相、菅直人に「三顧の礼」で経済財政担当相として迎えられた与謝野馨は、

さっそく税と社会保障の一体改革を一手に担い動き出した。

成就しても失敗しても、政界だけでなく日本の将来さえも変えかねない

改革に与謝野はどう取り組もうとしているのか。(敬称略)

                

   ■変節か使命か

 

   自民党幹事長・石原伸晃「人間としての徳はどこに行ってしまったのか」

 

   自民党政調会長代理・鴨下一郎「政治家としての矜持(きょうじ)、

あるいは正義に著しく反する」

 

   1日の衆院予算委員会は、菅直人第2次改造内閣で経済財政担当相

となった与謝野馨へのバッシングの嵐が吹いた。

朝からのどの痛みを感じた与謝野はマスク姿で閣僚席に座り、

自分に罵声を浴びせるかつての同志をじっと見つめた。

              

   かつて自民党の経済財政政策の中枢を担ってきたのだから

批判は覚悟の上だ。先の衆院選で東京1区で現経済産業相の

海江田万里に競り負け、自民党の比例代表として復活当選を果たしただけに

「裏切り」との感情的なもつれもある。

 

   「余計なことは言わずに耐えていくしかない」。

そう思った与謝野はしゃがれ声でこう繰り返してきた。

 

   「社会保障制度と税制抜本改革はこれ以上先送りできない。

十年来自分の信念として取り組んできた。税と社会保障を

一体的に企画立案してくれと命が下ったので政治家の最後の仕事として

引き受けたのだ」

              

■「レンタル大臣」

 

   ただ「新しい仲間」のはずの民主党も冷ややかだ。

先の衆参本会議代表質問では「ヨソの大臣」「レンタル閣僚」とヤジが飛んだ。

 

   税と社会保障の一体改革への理解は乏しい。平成17年の

小泉純一郎政権で党政調会長として郵政民営化法案を

取りまとめた時以上の抵抗が予想される。

 

   与謝野もそう考えたのか。菅内閣の一員になると、

昨年1月出版の著書「民主党が日本経済を破壊する」(文春新書)で

容赦なく批判した民主党の政策の批判を封印した。

           

   子ども手当は「自公政権がやっていた児童手当を拡充したものだと

理解している」、民主党の全額税方式の最低保障年金にも

「膨大なお金がかかるが、徴収の手間もいらず未納入問題も解決する」と

一定の理解を示した。

 

   昨年2月の通常国会で当時の首相、鳩山由紀夫を「平成の脱税王」と

追及した件を問われると「野党はそのぐらいの迫力で言わなきゃいけないと

思った」。

自民党の「議員バッジを返せ」との要求には

「自民党から除名になったことで私の処分は終わった」とにべもない。

民主党が衆院選マニフェストに掲げた16兆円超の財源確保まで

「無知だったと言わざるを得ない」とポロリと本音をのぞかせた。

 

   変節というのか。不器用というのか。弁が立つことは

火に油を注ぐことにもなる。

一体改革に向けた与野党協議はまた遠のいたかに見える。

 

   「変節漢」と批判されて動じないのはなぜか。

そこには与謝野が自らと重ねる先人の姿があった。

                   

   ■高橋是清の姿

 

   参院選で民主党が大敗し、逆風に立たされた首相・菅直人は昨年8月8日夜、

都内のすし店に向かった。

待っていたのは囲碁棋士、そしてたちあがれ日本共同代表

(当時)の与謝野馨だった。

 

   仲介役は「ぐるなび」創業者の滝久雄。

菅と同じ東京工業大学出身、与謝野とは囲碁仲間だった。

菅と与謝野は囲碁という共通の趣味を持ちながら対局したことは

ほとんどなかった。むしろ与謝野は、菅と敵対関係にある民主党元代表、

小沢一郎の方が囲碁仲間としては親しかった。

               

   そのころ与謝野は、菅の税と社会保障の一体改革への

「本気度」を見極めようとしていた。

「日本を破壊しかねない」と危険視していた首相、鳩山由紀夫は

すでに退陣した。参院選で衆参ねじれを実現し、民主党が暴走する危険性は

薄まった。当面の目標は達成したと言ってよい。

 

   話題の大半は囲碁の話だったが、与謝野は「せっかくだから」と

菅に自らの思いをぶつけた。

 

   「税制改革は自民党の黄金時代でも一党ではできなかった。

そういう難しい課題は他党と話し合うしかない。

まず自民党と話してはどうか。

両党で安定的な関係を築くことができれば、それは国民のためになる」

 

   菅は黙ってうなずいた。「脈はある」。

この会合がその後の与謝野の動きの伏線となる。

                

■「脈はある」

 

   しばらくして与謝野は知人らに一冊の書籍をしきりに薦めるようになった。

 

    「高橋是清 日本のケインズ−その生涯と思想」

(リチャード・J・スメサースト著、東洋経済新報社)。

 

   高橋は立憲政友会に身を置き、総裁を務めたこともあった。

にもかかわらず敵対関係にあった岡田啓介内閣に80歳を過ぎて

蔵相として入閣、政友会から事実上の除名処分を受ける。

 

   高橋の「転向」は国債増発による悪性インフレを押さえ込むため

財政健全路線にかじを切るためだった。

軍事予算抑制をめざし、政友会と軍の激しい攻撃にさらされたあげく

昭和11年の二・二六事件で暗殺された。

 

   与謝野は「政策のことよりも波瀾(はらん)万丈な人生が面白い」と評する。

高橋の晩年を自らに重ね合わせたのかもしれない。

            

   与謝野は平成18年に咽頭がんの切除手術を受け、

死線をさまよった経験がある。信念のために凶弾に倒れた高橋は

どんな思いだったのか。

「野党は暇だ」と読書ばかりしていた与謝野は残りの人生を

何に懸けるか考え続けたようだ。

 

   菅も与謝野に共鳴するようになった。

麻生太郎政権で与謝野が主導した「安心社会実現会議」の

報告書をかじるように読み、与謝野の著書も読みあさった。

 

   そして11月18日夜、与謝野を首相公邸に招いた。

         

    「内閣改造をやらざるを得ない」。こう切り出した菅は、

たちあがれ日本との連立を 打診。法相兼拉致担当相、

柳田稔を更迭し、後任にたちあがれ日本代表の平沼赳夫を起用するという

具体案まで提示した。

 

   与謝野は「臨時国会の後に話をしましょう」と即答を避けたが、

「たちあがれの6人で閣僚ポスト1つなら割のいい話じゃないか。

うまくいくかもしれない」とそろばんをはじいた。

 

   2人は12月4日夜、都内のホテルで再び密会した。

菅が重ねて平沼の入閣を明言したことを受け、12月22日午後には

都内のホテルで民主党幹事長の岡田克也と与謝野、平沼の3者会談が行われた。

 

   「これでいける。党の主張を実現できる」

 

   与謝野はこう思ったが、たちあがれ日本の所属議員は猛反発し、

努力は水泡に帰した。与謝野は離党、そして入閣を決断した。

              

■同志で内閣固め

 

   与謝野は「政治家として最後の仕事だ」と公言し、目標に向けて

一気に動き出した。官房副長官は与謝野の東大野球部の先輩である藤井裕久。

一体改革に向け、政府に社会保障改革検討本部を設置し、

本部内に設けた集中検討会議には民間委員として自民党時代の同志である

元厚生労働相、柳沢伯夫を迎え入れた。

 

   内閣は早くも与謝野カラーに染まりつつある。

逆に民主党に「これでは与謝野政権だ」と不満は募る。

 

   感情的なこじれを理屈で覆すことは難しい。

与謝野は「正しいことをやればいずれ分かってもらえる」と思っているのか。

それともあえて嫌われ役を演じているのか。

与謝野がポツリとつぶやいた一言にそのヒントが隠されている。

 

   「与野党が『与謝野こそが改革の障害だ』と言い始めたらしめたもんだがな」

 

 

              

 

              201122日 赤穂浪士における吉良上野介と主浅野内匠頭の確執

    赤穂浪士の討ち入りの話は年末のTVの定番みたいで、

        昨年末もやっていました。

    何十回と見ているのだが、ついついまた見てしまうのです。

    日本人にとってこの美談は武士道の神髄を示しているようで

誠に、心地いいのです。

今回はこの赤穂浪士の物語を少し検証してみたいと思います。

この様な考え方もあると気付くとまた面白いでしょう。

以下のブログを見つけましたので掲載します。

 

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-792.html

じつは、このブログでは、これまでのいわゆる「定説」の

ようなものにたいし、まっこうから異なる「説」をいくつか建てさせて

いただいています。

 

たとえば、赤穂浪士における吉良上野介と主浅野内匠頭の確執は、

巷間言われているような「厭味な爺の若者いじめ」のようなものではない、

と書かせていただきました。

 

これは、山鹿流という皇室尊崇を説いた学問を学んだ内匠頭と、

幕府将軍家こそ大事とする吉良上野介との思想の対立に端を

発する事件であると、書かせていただきました。

         

どういうことかというと、山鹿流というのは、皇室尊崇を説く学問です。

 

もともと学者だった山鹿素行は、47歳のとき、

「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」という本を書きます。

 

この「中朝事実」を確信したとき、山鹿素行は、「五十年の夢、

いっときに覚(さ)め申し候」と述べている。

 

何を確信したかというと、孔子の教えはありがたいが、考えてみると、

そのありがたい教えを実現しているのは、なんのことはない、

日本である、と確信した。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、

生々無息、造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。

聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、

人民をして是れによらしむるゆゑん也

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

               

たびたび政権が後退し、虐殺非道が行われる支那は「中華」などと、

とてもじゃないが言えない。ご皇室を尊び、ご皇室の元に君民一体と

なった国家を築き上げている日本こそが、「中つ朝」、であり、

「中華」そのものである、と説いたのです。

で、本の名前が「中朝事実」なのです。

 

我が国は、天皇が、皇祖、天照大神(あまてらすおおみかみ)の昔より、

至誠の道を歩み、人民もまた、自らを戒め、徳に向って生きている。

これぞ、万民すべて安らかで、天下万国すべてが平穏で無事な状態であり、

これぞ“天壌無窮”の神勅の意味である。

 

山鹿素行は、自らの発見への感動のあまり、これを本にし、

江戸に指南所を開いて子弟教育をします。

 

ところがこれに「待った」がかかった。

かけたのは、幕府です。

 

日本の統治をしているのは幕府であり、天皇こそが日本の長であると説く

山鹿流は、幕府にとって都合が悪かったのです。

 

で、山鹿素行は江戸、所払いになる。

要するに江戸を追い出された。

 

落ちた先が、播州赤穂藩です。

           

当時の赤穂藩主は、浅野内匠頭のオヤジさんです。

オヤジ殿は、山鹿素行を、「天下第一の高名な先生である」として、

藩の家老待遇で迎えます。

 

そして、自らの倅(せがれ)である内匠頭や、若き日の大石内蔵助などを

子弟として、山鹿素行直々に教育を受けさせた。

 

つまり、内匠頭や内蔵助は、子供のころから山鹿流を自らの血肉として

育ったわけです。

 

その内匠頭が、ある日、幕府の勅使下向の接待役を命ぜられます。

相方は、幕閣の由緒ある家柄の吉良上野介です。

 

江戸時代というのは、いまでは考えられないほど、

身分の上下がやかましかった時代です。

そうしたときに、天皇の勅使をどうみるか。。。。

 

勅使は天皇の名代です。

将軍は、征夷代将軍です。

 

その勅使を、将軍の上とみるか、下とみるか。

                 

吉良上野介は幕閣です。当然、将軍家が上座です。

内匠頭は、山鹿流です。勅使が上座です。

 

こうなると勅使接待の際の、他の者の席次から料理を出す順序、

お部屋の位置にいたるまで、ことごとく違ってくる。

 

両者は激しく対立します。

 

けれど、勅使接待役の総責任者は、吉良上野介です。

意見が対立したら、内匠頭の案は退けられます。

 

いまでもそうだけど、この手の対立というのは、

抜き差しならないところまで高まりがちです。

昨今の保守同士の理論の対立、たとえば、親米か反米か、

女系天皇容認か非容認かなど、同じ保守同士でも、極端な対立が生まれる。

 

そしてこういう理論的対立は、互いに相手を「絶対に許せぬ!」なんて

ところまで発展させてしまう。

 

こらえにこらえていた内匠頭が、ついに怒りを爆発させたのが、

殿中松の廊下です。

 

彼は吉良上野介の額に一太刀あびせてします。

             

そして停めにはいった梶川殿に、「御止め下さるな梶川殿。五万三千石、

所領も捨て、家来も捨てての刃傷にござる。武士の情けをご存知あらば、

いま一太刀、討たせて下され、梶川殿」と、まぁ、こういう名セリフが

実際にあったかなかったかは別として、彼は刃傷事件を起こしてしまう。

 

内匠頭は、切腹となり、赤穂藩はおとりつぶし。

旧赤穂藩士たちは、浪人し、ある日、吉良上野介の家に押し入り、

意趣を晴らした、というのが、赤穂浪士の物語です。

 

そしてこの討入の日、内蔵助は、「山鹿流陣太鼓」を叩きます。

 

後年、歌舞伎や文楽、講談といった江戸の町芸能で、

赤穂浪士は盛んに上演されますが、吉良と内匠頭の確執

(じいさんの若者イジメ)が、実は山鹿流という思想上の対立に

根差したものという「説明」は、まるでされません。

 

そういうことは、幕府のお膝元の江戸での興行で、

いちいち語ることができないからです。

 

だから、そのあたりの説明は、いっさいなく赤穂浪士は上演され、

最後に内蔵助の討入の際に、吉良邸の隣りの上杉のお殿様に、

「うぬ。山鹿流陣太鼓の音、内蔵助め、やりおったなっ!」という

名セリフで、印象付ける。

              

このセリフが出たところで、観客は、「ああなるほど、

冒頭の爺様の若者イジメは、実は山鹿流があったのか」と知るわけです。

 

こういうハナシは、芝居では説明されず、芝居小屋の帰り道に、

お父さんが子供に言い聞かせる。

 

それで子供たちは、なるほどと納得する。

「江戸の文芸は、芝居の途中と帰り道に、二度楽しめる」と

言われるゆえんです。

 

ちなみに、明治天皇が崩御された際に、当時まだ6歳だった昭和天皇の

お守役だった乃木希典は、昭和天皇のもとを訪れ、

涙を累々と流しながらこの山鹿流の講義をしています。

 

昭和天皇が、そんな乃木の姿を見て、「爺は、どこか遠くに

でかけられるのか?」と可愛い声で質問なされた。

 

乃木は何も答えず、滂沱の涙を流し、その足で自宅に帰ると、

妻とともに割腹し殉死しています。

         

乃木は幕末の長州藩士であり、吉田松陰の松下村熟生です。

 

その松下村塾は、そもそもが山鹿流兵学師範所です。

塾頭の吉田松陰は、11歳で毛利公の御前で「山鹿流」の講義をし、

藩主から過分ともいえるお褒めをいただいた人でもあります。

 

そして幕末、山鹿流は「尊王攘夷」の言葉を生み、倒幕を実現し、

明治国家を建設しています。

 

いいかえれば、明治という国家の中枢をなした思想が、山鹿流だった。

 

ですから戦前は、赤穂浪士といえば、多くの人は、吉良と内匠頭の確執は、

思想上の対立であったと理解していた。

 

その子弟たちが起こしたのが明治維新であり、ですから

明治国家における中心思想はまさに山鹿流にあった。

 

 

 

 

      

           201121900兆円を超えた国の借金

   国債の格付けが落ちました。スペインと同じそうです。

   格付け機関の判断は信じられないが、菅首相は「何せ、うといもんで」

   と、のたまったのです。

   信じられませんね!

日本の総理大臣が国債の評価が落ちても関心がないのです。

   このままあと2年も首相をしたら日本経済は破滅するでしょう。

   みんな心配していますよ。

   経済音痴の民主党が経済復興の政策を何もせず、政争に明け暮れ、

   政権にしがみ付き、人気取りの票集めのため子供手当などの

       愚にもつかない政策に巨額の資金をつぎ込み、足らない分は

        国債の増発でしのいでいる姿に

諸外国の経済学者が警告を鳴らしたのです。

その警告を無視するがごとく、開き直っている民主党菅政権は日本を滅ぼす

元凶となりました。

しかし、新聞テレビ等のマスコミはこの警告が分からないと見えて、

何の危機感もなく、民主党擁護の報道をしていますね。

マスコミや民主党は日本に派遣された韓国や中国のスパイから

懐柔されて日本崩壊の先鋒を担っているようです。

以下池田氏の論文です。

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4868

「それでも日本は大丈夫」という話は本当か?  池田 信夫

財務省が1110日に発表した政府債務

(国債や借入金などを合わせた国の借金)は、9月末で9088617億円となり、

過去最高を更新した。

 

    GDP比は173%と先進国で最悪だが、長期金利は1%前後と低く、

国債は順調に消化されている。

 

   こういう状況を根拠にして「財政危機というのは財務省の世論操作だ」とか

「実は日本の財政は大丈夫だ」いう類の話が根強くあるが、

それは本当だろうか。

 

   ここでは多くの財政学者の意見をもとにして、財政危機の実態について

一問一答で考えてみよう。

 

<1> 国債は国民の資産だから問題ない?

    「国債は国民の債務であると同時に資産だから、夫が妻から

借金するようなもの。 

家計としてはプラスマイナスゼロだから問題ない」という素朴な議論があるが、

妻からの借金なら返さなくてもいいのだろうか。

          

   例えば夫が飲んだくれで仕事をしないで、妻がパートで稼いだ貯金100万円を

借りるとしよう。これで夫が酒を買って飲んでしまうと、家計の資産は

100万円減る。それでも妻が稼いでいれば、また借りればよいが、

夫が働かないでそれを飲んでしまうと、いずれは妻の貯金も底をつく。

 

   つまり問題は家計簿(国のバランスシート)の帳尻ではなく、

何に使ったかなのだ。

 

   夫(政府)が借金して浪費を続けていると、家計の資産が減ってゆく。

国債で建設したインフラを将来世代が使うなら負担に見合う資産が残るが、

子ども手当のようなバラマキ福祉は今の世代が使ってしまうので、

将来世代には税負担だけが残る。

 

<2> 純債務は少ないので大丈夫?

   財務省の基準とする「国と地方の長期債務」は今年度末で862兆円だが、

これはグロスの数字である。「国の資産を引いた純債務で見ると

300兆円ぐらいしかないので、まだ大丈夫」というのがみんなの党などの

主張だが、債務を圧縮するためには国の資産を売却しなければならない。

            

   国有財産は簡単に処分できないので、金融資産だけを見ると、

主なものは米国債(為替介入で購入)110兆円、出資金(特殊法人などの資本)

100兆円、年金基金200兆円の3つだ。

 

このうち問題なく「埋蔵金」と見なせるのは米国債だが、

最近のドル買い介入で含み損を抱えている。

 

   特殊法人などへの出資金は、その出資先を清算しないと返ってこないし、

清算すると資産はかなり劣化しており、債務超過になっているかもしれない。

 

   年金基金は国債の償還に流用できないし、将来の給付を債務と考えると

500兆円の債務超過だという推定もある。

年金債務を無視して米国債と出資金を862兆円から引いても、

純債務は653兆円。GDP比は1.3で、先進国ワーストワンだ。

 

   問題は純債務がいくらあるかではなく、国債が消化できるかどうかである。

 

<3> 国債を買っているのは日本人だから安心?

   国債の保有者の95%は日本人だが、「日本人だから損しても国債を保有する」と

いうのは何の根拠もない。

              

   75%は金融機関などの機関投資家であり、金利が上昇(国債価格が下落)すると

大きな損失が出る。日本銀行の推計によれば、金利が1%上がると、

地方銀行は41200億円の含み損を抱える。

メガバンクは1行でこれぐらいの金利リスクを抱えており、

長期金利が上がり始めたら、財務省が脅しても売り逃げるだろう。

 

   「日本国債は円建てだからリスクが低い」というのは事実である。

ロシアのように外貨建てで国債を発行していると、債務不履行で

ルーブルが暴落すると、ドル建ての額面が同じでもルーブル建ての

債務が増えるが、円建ての場合にはそういう問題は発生しない。

 

   しかし、円建てでも、国債のリスクが高まると長期金利が上昇する。

国債の金利が1%上昇すると9兆円の財政負担が生じ、10%上昇すると

一般会計予算を食いつぶしてしまう。

 

   たとえ日本人がみんな死ぬまで国債を保有するとしても、

その限界は近づいている。個人金融資産から負債や株式・社債などを引いた

純資産は924兆円。純債務との差(資産超過)は271兆円だから、

今年の国債発行額44兆円で割ると、あと6年で使い切り、国債は国内で

消化できなくなる。その前に外債の募集が始まり、

長期金利が上がる恐れが強い。

             

<4> 元利をすべて返済した国はない。借り換えしていけばいい?

   これは政府の税制調査会の専門家委員会委員長である神野直彦氏の持論である。

永遠に借り換えることができればいいが、問題は民間が

借りてくれるかどうかだ。

 

   個人や企業の場合には、借金の限度はその支払い能力

(資産や将来の収益)だが、政府の場合は徴税権が担保になっている。

したがって本質的な問題は、現在の政府債務を返済するための増税が

可能かということだ。

 

   IMF(国際通貨基金)などの推計では、日本の政府債務を維持可能に

するためには、消費税率を30%以上にする必要がある。

消費税を3%から5%に上げるのに10年かかり、それ以来、

税率を上げられない政府に、そういう増税が可能だろうか。

 

   増税が間に合わず、国債が民間で消化できなくなった時は、

日銀に国債を引き受けさせるしかない。

これは財政法の第5条に定める国会決議をすれば可能だが、

日銀が際限なく国債を引き受けると、通貨が市中に

供給されてインフレが起こる。

            

   インフレが起こると、実質的な政府債務(名目債務/物価水準)は減るので、

石油危機の時のように物価が5年で2倍になると、政府債務は半減する。

これによって財政危機は回避できるが、国民の金融資産も半分になってしまう。

 

   「国が借金して景気対策に使えば景気がよくなって税収が増え、

財政危機は解決する」という話もあるが、これは

「靴紐を引っ張れば空に上がれる」というような話だ。

 

   もし財政支出を増やせば税収がそれ以上に増えるのなら結構な話だが、

2009年度の政府支出(当初・補正)は前年度から17兆円増えたが

税収は6兆円減った。

 

   こうした財政楽観論には「政府は民間より賢く金を使える」という

前提があるが、政府がそれほど賢ければ、もともと今のような

ひどいことにはなっていないだろう。

 

   政府の浪費によって財政危機になったのに、その対策を

政府にやらせようというのは、倒産した会社の再建を、

その会社をつぶした社長に任せるようなものである。

 

 

 

 

    

          

 

         

   

  

        

 

 

 

          

 

 

      

      

       

 

 

 

 

 

 

           

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

   

         

 

    

   

   

          

  

   

         

           

   

            

   

 

   

   

 

 

 

 

        

       

 

             

   

   

 

 

 

     

        

 

 

       

         

  

         

 

 

   

         

   

              

         

          

         

         

          

 

      

       

          

  

       

       

 

 

 

    

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